グラバー園は、長崎市内の南山手の小高い丘の上にあります。 |
国指定重要文化財に指定されている『グラバー邸』、『リンガー邸』、『オルト邸』 |
を中心に、市内にバラバラに存在していた有名洋館を現在の場所に移築し修復 |
しグラバー園としました。 |
長崎の特徴である傾斜した地形に位置している為、長いエスカレーターや動く歩 |
道を設け、長崎らしい石畳や、壁泉の曲がりくねった道を歩いて回り見学するよ |
ように造られています。 |
また、園内には『蝶々婦人』に扮した『三浦環の像』やプッチーニの像が建ってい |
ます。 |
グラバー邸は、1859年(安政6年)に長崎に来て貿易業を起こした英国人のト |
ーマス・ブレーク・グラバーの遺邸です。この建物は、グラバー自身が設計し、 |
日本の大工に造らせたわがl国で最も古い洋風木造建築として、1961年(昭和 |
36年)に国の重要文化財に指定されました。 |
来日後わずか二年で『グラバー商会』を設立し、お茶や海産物で財を成したグラ |
バーは、時代を見抜く目を持っており、一方で長州や薩摩などの若い志士たちと |
の交流を持ちながら、幕府や各藩と武器や船舶などの軍需品の商売を行い、財 |
をなしました。しかし、諸藩の売り掛けを回収することが出来ず、倒産してしまい |
ました。 |
その後のグラバーは、土佐藩出身の『岩崎弥太郎』が経営する『三菱商会』に参 |
加し、東京で三菱の相談役として裕福な余生を送りました。 |
一方、『フレデリック・リンガー』は1864年(元治1年)にグラバーに呼ばれて、イ |
ギリスへの輸出技術顧問として長崎に来ましたが、三年後独立し、『ホーム・リン |
ガー商会』を設立しました。リンガーの会社は、グラバー商会から権利を一部引 |
き継いで、長崎一の商社へと発展しました。その後グラバーの息子の『倉場富三 |
郎』と日本の産業・経済に大きく貢献しました。 |
また、日本の開港と同じにやって来た『ウィリアム・オルト』は、『オルト商会』を設 |
立しました。九州中のお茶を買い、大浦海岸の倉庫で製茶を行い、アメリカなど |
外国への輸出で大成功しました。オルトにお茶を売り、成功したのが『大浦お慶』 |
です。お慶は、事業の成功収益で、阪本竜馬を初めとする幕末の志士たちに支 |
援をしました。 |